日本の養蚕業の歴史を語る、蚕影神社~金色姫伝説編~
2015年10月29日
こんにちは、ハナワです
つくば市神郡にある「蚕影神社」に行ってきました。
今日は「金色姫伝説」について調べました。
全国各地に残る様々な「金色姫伝説」も元をたどればこの「蚕影神社」から広まったと考えれているそうです。
実際のところはわかりませんが、自分の住む街が起源と思うとワクワクしますね
つくば市の歴史を細かく伝えている書籍もあるようなのです。
例えば『筑波歴史散歩 』(宮本宣一著)
こちらは、つくば市北条生まれの方で旧北条町長も務めた方が書いた本なのです
この書籍には、「金色姫伝説」だけでなく、「コカゲ」という言葉の由来など、色々と記されているようです。
これは読んでみたいと思いました
さて、「金色姫伝説」とは?
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昔々、インドに金色姫がいましたが継母である皇后に疎まれ、4度も殺されかけます
その4度目、瀕死の金色姫を見つけた父である大王は、皇后の仕業と知り、金色姫を桑の木で作った舟に乗せ逃がしました
その舟が流れ流れて、つくば市の豊浦(現在の神郡の辺りです)に漂着しました。
金色姫は権太夫という猟師夫婦に助けられましたが、病気になり亡くなってしまいました
夫婦が唐びつに金色姫の亡骸を納めると、夢に金色姫が現れ、「食べ物をください、後で恩返しをします」と告げました。
からびつを開けてみると、姫の姿はなく、たくさんの虫になっていたそうです。
桑の木で流れてきた姫なので、桑の葉をたくさん与え、虫は成長し繭を作ったそうです。
筑波のほんどう仙人が繭から糸を取ることを教えてくれ、権太夫夫婦は養蚕業を営んで栄えたそうです
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なるほど、それから養蚕業が発展したという事ですね
悲しいお話ですが・・・
そしてインドから筑波山の麓に舟が漂着、という点も気になりますよね。
筑波山の麓なのに??
実は、当時はこの辺りが海だったのだそうです
伝説とはいえ、インドから漂着もあり得ないことはない!?というわけですね。
筑波山の麓まで海だったというのは貝塚の発見などからも、本当らしいのです。
地名も“豊浦”と水辺を示すものですしね。
これまた意外な発見でした
他にも、和気広虫という女性のお話がありました。
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弓削道鏡(ユゲノドウキョウ)が天皇になろうとしたとき、「皇位は天皇家の継ぐべき」と宇佐八幡の神託をもって和気清麻呂が反対しました。
これが宇佐八幡宮神託事件という、事件です。
怒りに触れた清麻呂は鹿児島県に流されたそうです。その清麻呂の姉が広虫で、広島県へ流されたそうです。
情の深い広虫は、飢饉による多くの棄児を集めて育てました。
その中に瓦職人がいて、常陸国へ来て、新治郡カワエラ材で石岡国分寺の瓦や北条中台の国分寺級の瓦を焼いたそうです。
彼は筑波のふもとの娘を妻にし、神郡におちついた為、神郡は瓦の産地となったのだそうです。
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本当に、神郡はかつては瓦産業が盛んだったそうですよ
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さらに彼は、自分を拾って育ててくれた広虫の恩を忘れかね、彼女の画像を山の中ごろへほこらをつくって祭り、彼女の存命中から朝夕拝んでいた
広虫に育てられた子がその御影を朝夕拝むので「コカゲ山」と言うようになったのだそうです。
蚕影山神社が蚕の虫除けや子供の虫封じに効くと言われるのも、広虫の「虫」の字から来たものだと言われているそうです。
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地名にまつわる言い伝えは各地でたくさんあると思いますが、これもなかなか興味深いですね
こちらは、かつて蚕影神社の参詣者が立ち寄る宿場であった「春喜屋」さんに特別に見せていただいた1枚です。
金色姫をモチーフにしたチラシですね
当時は、参詣者で大変にぎわっていたそうです。
現在もお土産の羊羹やお守りを買う事が出来ます。
駐車スペースもあります。蚕影神社に訪れた際は声をかけてみてください
つくば市神郡にある「蚕影神社」に行ってきました。
今日は「金色姫伝説」について調べました。
全国各地に残る様々な「金色姫伝説」も元をたどればこの「蚕影神社」から広まったと考えれているそうです。
実際のところはわかりませんが、自分の住む街が起源と思うとワクワクしますね
つくば市の歴史を細かく伝えている書籍もあるようなのです。
例えば『筑波歴史散歩 』(宮本宣一著)
こちらは、つくば市北条生まれの方で旧北条町長も務めた方が書いた本なのです
この書籍には、「金色姫伝説」だけでなく、「コカゲ」という言葉の由来など、色々と記されているようです。
これは読んでみたいと思いました
さて、「金色姫伝説」とは?
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昔々、インドに金色姫がいましたが継母である皇后に疎まれ、4度も殺されかけます
その4度目、瀕死の金色姫を見つけた父である大王は、皇后の仕業と知り、金色姫を桑の木で作った舟に乗せ逃がしました
その舟が流れ流れて、つくば市の豊浦(現在の神郡の辺りです)に漂着しました。
金色姫は権太夫という猟師夫婦に助けられましたが、病気になり亡くなってしまいました
夫婦が唐びつに金色姫の亡骸を納めると、夢に金色姫が現れ、「食べ物をください、後で恩返しをします」と告げました。
からびつを開けてみると、姫の姿はなく、たくさんの虫になっていたそうです。
桑の木で流れてきた姫なので、桑の葉をたくさん与え、虫は成長し繭を作ったそうです。
筑波のほんどう仙人が繭から糸を取ることを教えてくれ、権太夫夫婦は養蚕業を営んで栄えたそうです
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なるほど、それから養蚕業が発展したという事ですね
悲しいお話ですが・・・
そしてインドから筑波山の麓に舟が漂着、という点も気になりますよね。
筑波山の麓なのに??
実は、当時はこの辺りが海だったのだそうです
伝説とはいえ、インドから漂着もあり得ないことはない!?というわけですね。
筑波山の麓まで海だったというのは貝塚の発見などからも、本当らしいのです。
地名も“豊浦”と水辺を示すものですしね。
これまた意外な発見でした
他にも、和気広虫という女性のお話がありました。
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弓削道鏡(ユゲノドウキョウ)が天皇になろうとしたとき、「皇位は天皇家の継ぐべき」と宇佐八幡の神託をもって和気清麻呂が反対しました。
これが宇佐八幡宮神託事件という、事件です。
怒りに触れた清麻呂は鹿児島県に流されたそうです。その清麻呂の姉が広虫で、広島県へ流されたそうです。
情の深い広虫は、飢饉による多くの棄児を集めて育てました。
その中に瓦職人がいて、常陸国へ来て、新治郡カワエラ材で石岡国分寺の瓦や北条中台の国分寺級の瓦を焼いたそうです。
彼は筑波のふもとの娘を妻にし、神郡におちついた為、神郡は瓦の産地となったのだそうです。
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本当に、神郡はかつては瓦産業が盛んだったそうですよ
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さらに彼は、自分を拾って育ててくれた広虫の恩を忘れかね、彼女の画像を山の中ごろへほこらをつくって祭り、彼女の存命中から朝夕拝んでいた
広虫に育てられた子がその御影を朝夕拝むので「コカゲ山」と言うようになったのだそうです。
蚕影山神社が蚕の虫除けや子供の虫封じに効くと言われるのも、広虫の「虫」の字から来たものだと言われているそうです。
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地名にまつわる言い伝えは各地でたくさんあると思いますが、これもなかなか興味深いですね
こちらは、かつて蚕影神社の参詣者が立ち寄る宿場であった「春喜屋」さんに特別に見せていただいた1枚です。
金色姫をモチーフにしたチラシですね
当時は、参詣者で大変にぎわっていたそうです。
現在もお土産の羊羹やお守りを買う事が出来ます。
駐車スペースもあります。蚕影神社に訪れた際は声をかけてみてください
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